株式”社会”で生き残るということ

普段は優しい人でも会社ではこわい

株式会社はいつも厳しい競争にさらされています。しかし、この競争が人間の生活・寿命・娯楽などの水準を上げているなど社会に大きく貢献していることもまた事実です。

社会は便利な方に変わる

一般に企業は周りからの期待とプレッシャーに応えて大きな収益を上げるべく多くの人が求める商品を開発・販売します。個々の人間は高い効用(満足度)を求めて生きる生物ですから、企業はその求めに合わせて収益を得るべく事業を営むのです。

具体的には、人間の能力向上(製薬・教育)、美味しい食べ物(小売・食品)、かっこよくて機能的な服(アパレル)、丈夫な建物(建設・不動産)、金融の円滑化(金融)、便利な通信・移動(通信・自動車・鉄道・船・航空)、手間を省く装置(製造)、多様な娯楽(ゲーム・レジャー)などの実現がめざされます。

もちろん、それらの原材料を採掘する鉱業と、原材料を素材に仕立てる素材産業と、それを流通させる卸売業、そしてそれらすべての情報を拡散させるマスコミも社会に貢献しています。社会はその集合体として変わります。

株式”社会”で生き残るということ

 

資本主義はよくない面もあるが
よい面もたくさんあるよ。スマホはその塊みたいなもの。

それが人間の堕落・ストレスや環境破壊を促したという批判は別にして、戦前と現代を比べるとその方向に沿って日本社会が変わったことはだれの目にも明らかです。

投資家の存在意義

よく投資家や金融機関はお金を転がしているだけで何も生み出していないから非生産的と批判されがちです。しかし、彼らが有望な業種・企業に資金を動かし(集め)企業はそれに対応するからこそ、技術革新が進んだり社会は便利になったりするのです。

たとえば、新機軸の医療をめざす上場企業に資金が流れて画期的な発明品が生まれたら、投資家や企業はもちろん、その外部にいる消費者も利益にあずかれるでしょう。

厳しさが社会を支える

伊勢神宮おかげ横丁のお店・コンビニ

しかし、有望な業種や企業にばかり資金が集まるのだとしたら、そこから漏れる企業は厳しいことになるのかもしれません。

それゆえ脱落しないように、企業の構成員は売上および利益を前期よりも多く上げて企業価値を高めるように上役や株主、借入先などからプレッシャーをかけられているのです。また勝ち組企業としても、やがて負け組に転落する可能性もあるでしょう。

学生時代のアルバイトだと単純作業を命じられるばかりで成長(=以前よりも売上と利益を伸ばすこと)というプレッシャーをあまり感じないかもしれません。

しかし、社会人になると所属先・取引先や家族に責任をもち、彼らと自分のために収益を上げることの大変さが切に感じられるはずです。こういう厳しい世界で成功する人、そして育ててくれた親はすごいのです。

投資に対するマイナスイメージ

資本主義の豊かさや厳しさは成長が絶えず求められる構造からきているといえます。株式投資に否定的な見方がよくされるのも、お金を稼ぐという行為に失敗したくらいで社会から退出を迫られるのはおかしいという感情が作用しているからでしょう。

さらに投資は生活費以外の余裕ある資金で営むのが普通なので、そういうゆとりがない人は蚊帳の外だという批判も大きいかもしれません。

株式”社会”で生き残るということ

 

投資は余裕ある資金でやった方がよい
というのが投資の定跡。

もしかしたら投資から得られる所得は、前近代(農作物を協働で育てなくては生存できない時代)では成立しにくかった個人主義的な行為であるため、現代でもそれを感覚的に受け継いでいるのかもしれません。

株式投資をしていなかった時代の筆者とて、バブル崩壊や山一證券の廃業、ライブドアショックなどを通じて大人たちの涙や怒号を見るたびに、株式投資に対する負のイメージを募らせてきました。

バブルとは実体経済以上に景気がよいこと。たとえば株式会社の価値はこの売上と利益(=実体経済)なら〇〇〇億くらいがちょうどいいという指標がありますが、バブルでは実体から上にかけ離れた位置で評価されてしまうのです。要するにバブルは好景気すぎて株式や不動産、美術品などが過剰に評価されている現象です。これが崩壊したのが1991年です。

山一證券はかつての大手証券会社で1997年に破綻しました。原因は、バブル崩壊とともにそれまでうまくいっていた強引な経営が一気に悪化したから、という感じです。

ライブドアショックは、当初は一企業の粉飾決算に過ぎなかったものが、報道機関や証券会社の対応によって大混乱に発展した事件です。筆者としては報道機関や証券会社の対応は悪くなかったと思いますが、結果としては日本株全体が大幅安になりました。

投資は社会を流動化させる

しかし、その後、私たちが生きる社会の持続に私的な投資は不可欠だと気がつきました。もし投資が政府にのみ認められるとすれば、軒並み失敗した社会主義国のように政府による汚職や無駄な公金支出、富の偏在が酷くなるからです。

私人が投資に成功したり失敗したりしなければ社会は変わりませんし、皆の資産や格差も固定されたままになってしまいます。

社会主義というのは、経済活動について皆の自由や競争に任せるのではなく、政府が統制して皆を幸せにするという思想・体制です。つまり、政府が経済を統制すれば失業はなくなり、収入は平等になるなど皆が幸せになるわけです。

しかし、こういう体制では政府がとてつもなく大きな権力をもちます。そうなると上層部は腐って国民の大多数は不幸になるというのが社会主義を導入した国々の歴史です。(社会主義にはさまざまなタイプがあります。)

政府は万能の存在ではないのです。実際、現代では弱者は政府の公金によってのみ救われるとは限らず、政府がまるで注目してなかった新興企業が大きな成功を収めるとか、本業が低賃金の労働者が投資で大きな利益を稼ぎ出すとか、クラウドファンディングで偉業が達成されるというパターンもあります。

投資は一昔前では金持ち中心のものでしたが現代では大衆化したのです。そこには新たな雇用や税収も生まれるので私的な投資の力は単純に否定できないものがあります。

株式”社会”で生き残るということ

 

社会主義国の政府は経済を統制するけど
資本主義国の政府は民間企業を助けたり
民間企業がしにくいことを担うのが大原則だよ。

投資家は利己的か

なお株式投資の先進国であり強欲資本主義の権化として批判されがちなアメリカ人は総じて寄付に熱心ですが、日本人は寄付に消極的です。これは税制・社会保険制度や宗教の違いもありますが、意外な事実ではないでしょうか。

そもそも投資は自己責任が大原則で自らの資産増加を目的とする以上、個人主義的な営みです。しかし投資家は、投資に企業・社会の発展という願いを込め、そこから得られたリターンに関係者への感謝も抱く以上、すべてが利己心に染まっているわけではありません。

そして人間は資産をあの世にもっていけない以上、とくに桁外れに成功した投資家は死後も名誉が残る形で寄付したがるのかもしれません。

次はいよいよ株価の決まり方や原理について見ていきます。

当サイトを入門書として使う場合に次に読むべき記事(章が変わります)⇒株価と市場価格の原理


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